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寺社建築のデザイン技術

写真は、仙台市にある伊達家の廟所、瑞鳳殿。
戦争で空襲を受けて焼失したものですが、戦後になって再建されたものです。
当然、再建には慎重な検討が行われ必要な学術調査も行われて
再建されたものですから、デザインも創建当時のものが再現されたもの。
日本の寺社建築というのは、その時代時代の権力層の権威示威、
「おまえら、拝め」みたいな意味合いで建てられたものですが、
ちょうどこの時期というのは、江戸初期の時代。
江戸に徳川の政権が成立して、その全国支配体制が確立した時期。
意匠的には、江戸政権の建てた日光東照宮などと非常に似ている。
ちょうど、平泉藤原氏の建てた建築空間が同時代の平等院鳳凰堂などと
似たような構成になっていることとそっくりです。
たぶん、その時代のなかで権力内部の交渉、距離の近さなどが
このような意匠にまで及ぶ側面があったのではないかと思われます。
単純に、建築の作り手が同じ作り手で、目的的に同じデザインにしたというようにも考えられますね。まぁ、伊達の徳川へのゴマすり(笑)。
仙台には「東照宮」まであるという念の入った雷同ぶりで、すごいなぁと。
その後の仙台藩でのお家騒動でも
幕府側からは一貫して、仙台藩維持の方針だったことなど考え合わせると、
江戸政権への伊達政宗の「営業活動」の大きさを感じさせてくれます。

で、こんな建物が残されているわけですね。
ほとんど東照宮のデザインとそっくりなわけですが、
そのように考えると、そっくりであることが必要だったのだろうと思います。
特徴的なのは、せり上がりの部分の組み手や、欄間部分の意匠。
日本の寺社建築は、このせり上がりに異常な興味を示していると思います。
以前に、千葉県にある歴史民俗博物館で、
東アジア三カ国、日中朝3カ国の建築文化の違いについての展示がありましたが
よく似た出自と思想的な共通性の中、
いくつかの部分で明確な違いが感じられました。
そのなかの大きな部分がこのせり上がりと組み手。
せり上がりというのは、雨の多い日本の気候条件の中で外壁の保護のために、
軒の出をたっぷりと取る必要性があって
その構造を維持するために、補強的な意味合いがあって造作されたもの。
こういう建築表現は、けっして住宅では行われなかったのが日本ということ。
権威に奉仕する建築としては、そういう手法の独占性に希少性を与えた。
武士の身分差に門の構え方を決めていたというのと同様なのか。

せり上がりって、やはり見ていてリズミカルで
その軒下、半外部的な「バッファーゾーン」にいるとなにか楽しい。
それって大きな軒の出が、雨とか、強烈な日射から保護してくれていて、
しかも外部的な空気感に触れられるという、
日本人が好きな空間性要素を支えている部分の意味合いが大きいと思います。
北海道の建築家・五十嵐淳さんが「バッファーゾーンを
大きなテーマにしていますが、日本的な感受性の部分なのでしょうか。
しかし、その組み手と言われる木組みの様子は
なんとも芸術的なまでの意匠性に彩られていて、すごい。
よくもまぁこんなにゴテゴテとした建築意匠にしたものかと
遙かな後世のわれわれを、驚愕させるに充分なのではないでしょうか(笑)。
こういう木組みの部分にはくぎなどの金物は一般的に使われない。
複雑に組み合わせ計算された木の造形物を組み合わせるだけで構造、です。
まぁ、ひたすら面剛性・耐震強度の方向で考えるのではなく、
「免震性」というように構造を考えてきた象徴のようなものなのでしょうね。
こういう部分、伝統大工だけの技術にとどめず、
構造技術としてしっかり研究し、後世に伝える義務はあるでしょう。

まぁ、それにしても極彩色デザインで、
あんたはすごい、って感じさせられます(笑)。

北のくらしデザインセンター
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